優しい心遣い
様々な人と巡り逢う中で、
ちょっしたやさしい心遣いに
出逢うと気持ちが温まります。
当たり前のことを、気配りをもって接することのできる人は
本当に素晴しいと、つくづく実感します。
どんな時も、時代の波に揉まれるだけでなく
やさしい気持ちで触れ合えるそんな人で
あれたらと思う毎日です。
皆さんに支えられて本当に感謝です。
千本さん、中村さん、松井さん、育子伯母さん
有り難うございます。
様々な人と巡り逢う中で、
ちょっしたやさしい心遣いに
出逢うと気持ちが温まります。
当たり前のことを、気配りをもって接することのできる人は
本当に素晴しいと、つくづく実感します。
どんな時も、時代の波に揉まれるだけでなく
やさしい気持ちで触れ合えるそんな人で
あれたらと思う毎日です。
皆さんに支えられて本当に感謝です。
千本さん、中村さん、松井さん、育子伯母さん
有り難うございます。
☆瞬間続
人間の表情は様々な多角的な角度、マインドの状態によって様変わりする。
一つの動作を軸に、映像のコマ送りの状態をイメージし、そこで一番しっくりくる
アングルを切り取る。
美しい光があ差す場所には、必ず良い瞬間がそこにある。
光と被写体の捉える全体のイメージをもっと明確にし、様々なイメージ、
言葉にすればボキャブラリーを持つこと、増やすこと。
☆アングル
レンズの効果とそれに対する、完璧な構図で切り抜く。
微妙な。大小のセンスがその写真のバランス、被写体の存在感を変える。
もっと切り口をシャープに。
真正面からのゆがみのない絵を、
どんな状況でも素早くシャッター切れるようにする。
それと同時に、瞬時にファインダーの四隅が見えていること。
ここ最近、仕事に追われる毎日。
これでは、いけない。
自分の時間がうまくつくれていない。
取材に向け、今頭の中で描かれていることを
文章化してゆくことで整理してゆく。
コンセプトにそって、より明確なイメージづくり
題材のリサーチ
被写体との距離感、コミュニケートの方法
写真の重厚感、質感それに随時するフォトショップの技術を
磨いてゆくこと
日常撮影する題材から、再度写真を見直しとことん考え抜く
☆人物を捉えるにあたって
フレーミング
フォーカス
色
瞬間
表情
臨場感(イメージ)
場所と背景の関係性
そしてそれに通ずるマインドの動き
自分が写し出されるのか
それとも写らないのか
☆ひとつの構図に
どこまでシンプルに削ぎ落とせるか
またその中に入れ込めるか
バックグランドと被写体
そこに表現される本質に忠実、
イメージと重ね合わせるここと
頭・口・心 (三密)の一致
自身の哲学が写し出されているか
写真が表現の域に達すること
内面的なオリジナリティーへの探求
☆瞬間
カメラワークの利き手手人差し指の感覚を研ぎすます
シャッターを切るということ行為をより慎重にそして感覚的に
頭で考える前におすイメージ
止まった時ではなく、時間軸に本質がある
今晩、古くからお世話になっている
庄路さんから荷物が届いた。
いつもながら、
気にかけて頂いていることに本当に感謝です!
中々と距離があって
お会いすることが出来ずじまいですが、
又いつの日かお会いできること楽しみにしています。
くれぐれもお身体だけは気をつけてくださいね。
今、横浜のZAIMで開催されている
『ブラジルの現代写真表現』を観に行って来た。
10人の写真作家が、それぞれにブラジルという国を
独自の視点で表現していた。
自然への回帰
消え行くものへの哀愁
生きる上での絶望感、虚無感、哀切、
宗教に対する希望
神への祈り
人種の坩堝ブラジルで、
現代社会に投げかける熱いメッセージは、
内面的な世界、人間(社会)と大地(自然)とのつながり、
そして共生を考え直す、ある種のバロメーターの様に感じた。
中々と見応えのある写真展だった。
役者さんの宣材撮影させて頂きました。
さわやかで品のある、そして凛とした姿に、
女性の美しさを感じさせてもらいました。
トミーさん
今後とも、より一層のご活躍期待してます。
連日のように、取り上げられて来た
アメリカ大統領オバマ氏に関するニュース。
オバマ氏の演説から、新たな可能性を感じた。
混迷とした世界に、これまでとは異なる光が差し込んだ。
今後のアメリカに、
そしてそのビジョンに期待を寄せてる。
以下、大統領演説から
オバマ氏演説全文
もし、米国ではあらゆることが可能であるということを疑ったり、建国者の夢がまだ生きているのか疑問に思っていたり、米国の民主主義の力を疑ったりする人がいたら、こう言いたい。今夜が答えだと。
この答えは、(投票するために)全国の学校や教会の周りに行列を作ったこれまでにないの人々、何時間も待ち続けた人々によって示された。これらは多くの人たちにとって初めてのことだった。今回は違うはずで、自分たちの声が変革になりうると信じていたからだ。
若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党員と共和党員、黒人と白人、ヒスパニック、アジア系、先住民、同性愛者とそうでない人、障害を持つ人とそうでない人が出した答えだ。我々は決して単なる個人の寄せ集めだったり、単なる青(民主党)の州や赤(共和党)の州の寄せ集めだったりではないというメッセージを世界に伝た米国人の答えだ。私たちは今も、これからもずっとアメリカ合衆国だ。
米国人が達成できることについて、悲観的でおびえていて、懐疑的であるようにとあまりに長い間、あまりに多くの人から言い聞かされてきた人々に対して、歴史の弧に手をかけ、より良い明日の希望に向かって再びそれを動かすように導いた答えだ。
長い時間がかかった。でも今夜、この決定的な瞬間、この選挙の日に私たちが成し遂げたことにより、米国に変革が到来したのだ。
先ほど、マケイン上院議員からとても丁重な電話を頂いた。
マケイン議員はこの選挙戦で、長い期間懸命に戦った。そして彼は、愛する国のため、もっと長い間、もっと懸命に戦ってきた。彼は米国のために、私たちの大半が想像もつかないほどの犠牲を耐え忍んできた。この勇敢で私心のない指導者の献身のおかげで、私たちはより良い暮らしを享受している。
私は、マケイン氏とペイリン知事が達成したことについて、彼らを祝福する。これから、この国の希望を新たにするため、彼らと共に働くことを楽しみにしている。
この選挙戦での私の相棒に感謝したい。心のこもった演説を行い、スクラントンの街で共に育ち、デラウェアへ帰宅する列車に乗り合わせた、そんな普通の人々のために発言してきた男、合衆国副大統領に選ばれたジョー・バイデンだ。
さらに私は、過去16年にわたる最良の親友であり、家族の要、生涯愛する人、そして次のファーストレディーとなる(妻の)ミシェル・オバマの揺るぎない支持なくして、今夜ここに立つことはできなかった。(娘の)サーシャとマリア、君たちが想像する以上に私は君たちのことを愛している。新しい子犬と一緒にホワイトハウスに行こう。
もうこの世にいないが、(母方の)祖母が、私をここまで育ててくれた家族と共に私のことを見守ってくれていることを知っている。亡き家族がここにいないのをとても寂しく思う。彼らへの恩義は計り知れないものだ。
姉妹のマヤとアルマ、他のすべての兄弟姉妹たち、君たちの応援にとても感謝している。
選挙事務局長のデービッド・プルフ、君はこの選挙戦の隠れた英雄だ。おそらく米国の歴史上で最高の政治運動の態勢を築いてくれた。
最高戦略責任者のデービッド・アクセルロッド、君はあらゆる局面で私と共にいてくれた。
政治史で最高の選挙チームが勝利を可能にした。このために君たちが払った犠牲に対して永遠に感謝する。
しかし、何にもまして、この勝利が本当は誰のものかを私は決して忘れない。それは(米国民である)あなたたち、あなたたちのものなのだ。
私は大統領の最有力候補であったことがなかった。十分な資金や多くの推薦と共に始めたわけではない。最初は資金も支持者も少なかった。我々の選挙戦はワシントンの大会場ではなく、デモインの裏庭やコンコードの居間、チャールストンの玄関先で始まった。少ない貯金の中から5ドル、10ドル、20ドルを出してくれた、働く人々のおかげだ。
力を増したのは、無気力な世代という神話をはねのけた若者たちが、家族から離れ、少ない報酬と睡眠時間の仕事をしてくれたからだ。寒さにも暑さにも負けず、全くの赤の他人の家をノックして回ってくれた、そう若くない人々からも力を得た。ボランティアとして集まって組織を作り、(リンカーン米大統領の言った)「人民の人民による人民のための政治」は200年以上たっても滅びていないと証明した何百万人もの米国人から力を得た。
これは、あなたたちの勝利だ。
そして、あなたたちがこの選挙に勝つためだけに行動したのではないことを私は知ってる。私のために行動したのでないことも。
あなたたちは、これから待ち受けている膨大な課題を理解しているから行動したのだ。今夜は祝うにしても、明日から向き合う難題は我々の時代で最大級だ。(イラクとアフガニスタンの)二つの戦争、危機に直面した地球、今世紀最悪の金融危機……。
我々は今夜、ここに集っていても、イラクの砂漠やアフガニスタンの山地で起床し、我々のために命の危険を冒している勇敢な米国人がいることを知っている。
子供たちが眠りについた後も、多くの父親や母親が、住宅ローンや医療費、子供たちの大学の費用をどうやって工面したらいいか思い悩ませている。
新たなエネルギーの開発、雇用の創出、学校の建設、脅威への対処、修復すべき同盟関係、といった課題が待っている。
道のりは長く、険しい。1年、あるいは(大統領任期の)1期(4年)の間には達成できないかも知れない。だが、私は今夜ほどそこに到達できるという希望を持てたことはない。
私は約束する。我々が、国民としてそこに到達することを。
出だしのつまずきや失敗はあるだろう。大統領としての私の決定や政策のすべてに必ずしも賛成しない人もたくさんいるだろう。政府があらゆる問題を解決することはできないこと我々は知っている。
だが、我々が直面する困難について私は常にあなたたちに正直にいる。特に意見が異なるときほど、あなたたちの声を聞く。そして何よりも、あなたたちにこの国の再建に加わってもらいたい。221年間米国がやってきた、ブロックやれんがを一つひとつ、硬くなった手で積上げるという唯一のやり方で。
21カ月前の真冬に始まったことは、この秋の夜には終わらない。
この勝利だけが、我々が追い求める変革ではない。これは変革を行うためのチャンスに過ぎない。もし以前の状況に戻ってしまったら、変化は起きない。
あなたたち抜きではできない。新しい奉仕、犠牲の精神抜きではできない。
仕事に取りかかり、より懸命に働き、そして互いに助け合えるよう、新しい愛国の精神、責任感の精神を呼び起こそう。
今回の金融危機が何かを教えてくれたとしたら、町の大通りが疲弊しているときにウォール街だけが栄えていることはできないということだと思いだそう。
この国では、我々は一つの国家、つまり一つの国民として栄えたり衰退したりする。長い間この国の政治を害してきた狭量で未熟な党派主義に戻ろうという誘惑に耐えよう。
初めて共和党からホワイトハウスに乗り込んだのは、この州の出身者だった。共和党は自立と個人の自由、国の団結という価値観に基づいて設立された。これらの価値観は我々も共有している。
今夜、民主党は大きな勝利を得た。だがそれは、一定の謙虚さと、我々の進歩を滞らせてきた分断状態を正常化しようという決意を伴うものだ。
リンカーンは、我々以上に分裂していた国民に対し、「我々は敵ではなく友人なのだ」と語った。感情は高まっているかもしれないが、好意のきずなを断ってはいけない。
私を支持してくれなかった人たち、あなたたちの票は得られなかったが、あなたたちの声は聞こえている。あなた方の助けが必要だ。私はあなたたちの大統領にもなるのだ。
今夜、米国の外で見守っている人たち、議会や王宮のみならず、忘れられた世界の片隅で、ラジオの周りに集まっている、あらゆる人々に対して言いたい。(今日成し遂げられた)米国の物語は特異だが、我々の行き先は共有できる。米国の新しい指導力の夜明けは
近づいている、と。
この世界を破壊しようとする者たち、我々はおまえたちを打ち負かす。そして、平和と安全を求める人々、我々はあなたがたを支援する。
米国の(指導力の)灯台が今も明るく輝いているのか疑問に思っている人々よ。今夜、我が国の本当の強さが、武力や富の力ではなく、民主主義や自由、機会や希望といった絶えざる理想の力に由来することを改めて証明した。
これが米国の真の才能だ。米国は変化できる。我々の団結は完遂できる。これまで成し遂げたことから、明日達成できること、そしてしなければならないことへの希望が生まれる。
今回の選挙で初めて起きたこと、そして多くの話が、何世代にもわたって語り継がれるだろう。しかし、今夜私の心に浮かぶのは、アトランタで1票を投じた女性のことだ。他の数百万人の有権者と同様に、行列に並んで投票した。ただひとつ他の人たちと違っていたのは、彼女、アン・ニクソン・クーパーさんが106歳だということだ。
彼女は奴隷制が終わってわずか1世代後に生まれた。まだ道には車がなく、空には飛行機が飛んでいなかった時代だ。彼女のような人が、女性であるということと、肌の色という2つの理由で投票ができなかった時代だ。
今夜、この1世紀に米国で彼女が見たすべてのことに思いをはせたい。傷心と希望、努力と進歩、「不可能だ」と言われ続けたことに対して、「我々はできる」という米国の信条を進めようとした人々。
女性が声を出せず、希望が踏みにじられた時代もあったが、女性が立ち上がって発言し、投票を求める姿を、彼女は目の当たりにした。
(30年代に中西部で起きた)土埃の嵐の絶望や全土の恐慌の時にも、この国がニュディール政策や新たな雇用、そして新たな共通目標の意識によって、恐怖そのものを克服するのを、彼女は見た。我々はできるのだ。
我々の港が爆撃され、独裁体制が世界を脅かしたが、彼女は、一つの世代が立ち上がり、民主主義が守られるのを目撃した。我々はできるのだ。
(黒人解放運動のきっかけとなったアラバマ州)モンゴメリーの通学バスのボイコットやセルマのデモ、「我々は勝利する」というキング牧師の言葉も聞いた。我々はできるのだ。
人類が月に到達し、ベルリンの壁が崩壊し、世界は科学と想像力でつながった。
そして今年、この選挙で彼女は指で画面に触れて一票を投じた。106年の生涯で良いときも暗い時代も経験し、彼女は米国がいかに変化するかを知っているからだ。我々はできるだ。
米国よ、我々はここまで来た。いろんなものを見てきた。だが、やるべきことはまだまだある。だから今夜、自らに問おう。我々の子どもたちは次の世紀を見られるのか。私の娘たちがアン・ニクソン・クーパーのように長生きできたら、どんな変化を見るのか。我々はどんな進歩を遂げているのか。
これらの問いに我々が答える好機だ。今は、我々の時代なのだ。
人々に仕事を戻し、子どもたちに機会の扉を開こう。繁栄を再建し、平和の大義を推進しよう。アメリカン・ドリームを取り戻し、我々は一つであるという根本的真実を再確認しよう。希望を持つことは息するくらい当たり前だ。皮肉や懐疑心に出会ったり、「できやしない」という人に出会ったりしたら、米国民の精神を要約する不朽の信条で応えよう。「我々はでる」
11/9、岡田様・斉藤様のレストランウエディングを
撮影させて頂きました。
家族・友人の絆
本当の意味での温かみ、優しさを感じさせてもらい、
とても素敵なご披露宴パーティーでした。
そして、何よりもお二人が輝いていました。
おめでとうございました。
今後とも、末長いお幸せ心から願っています。
ウェディングフォトグラフィー/フォトグラファー Yuji Nishijima
今夜、久しぶりに幼なじみの友達と再会し
語り合った。
日々、仕事に追われる生活の中で、
心知れた仲間と熱のこもった話ができる瞬間が
何よりも幸せだと思う。
何かを求めて生きるものを
引き合わせるもの
それは情熱
いつもどこかで繋がりをもって存在し合っているような気がする
情熱があるからこそ、新たな未来が約束される
またいつの日か交わる場所で、お酒を交わそう
山尾、航
ありがとう。
この1ヶ月間、
休む間もなく働き続けていた。
11/3〜11/5まで、
TUKUBA STUDIOにて立て込み作業のため
東京を離れていた。
3日間の合宿生活を終え
電車で帰宅途中、なぜか8年前にアジアを旅した時に、
出逢ったカメラマンのことが思い出され、気にかかった。
帰宅後、インターネットで彼を検索すると思いもよらないことが
そこには書かれてあった。
カンボジアで出逢った遠藤俊介さんは、
去年の7月に急性骨髄性白血病により逝去。享年29歳の若さで
この世を去っていた。
言葉を失った、、、、
あのとき、カンボジアのシェムリアップで一緒にドミトリーをシェアした。
彼が撮影したカンボジアのモノクロ写真からは、被写体を通して
彼の暖かく優しい眼差しが写し出されていたことを、今も鮮明に覚えている。
知的で寡黙な彼は、特に多くを語る訳ではなかったが、
カンボジアに対する愛情はもの凄かった。
彼の残した1冊の書籍の最後にこう書かれてある。
『カンボジアで撮影を続けていると、カンボジア=危ない、貧しい、地雷だらけ……そんなことばかり言われた。だから、貧しいけれど笑顔のカンボジアを撮り続けようと決めた。』
飾りけのない力強い言葉だと思った。
遠藤さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。