140715-140722
Minamisouma-shi,Iitate-mura,Kawamata-cho,Fukushima
Minamisouma-shi,Iitate-mura,Kawamata-cho,Fukushima
Iwaki-shi,Fukushima
Inawashiro-lake,Fukushima
Goshiki-swamp,Fukushima
色々と考えさせられる事の多かった7月の始まり。
福島の撮影に、暫く時間おいて、エネルギーチャージする。
再び福島へ。
頭の中のイメージがクリアになってきた。
今回は、まとまった取材撮影ができそうだ。
写ってほしい。
やっと、福島の方々と向き合えるマインドが整ってきた。
自分が感じえる何かが、写真に投影でき、希望に繋がることを願いつつ。
やっと福島の写真をまとめ始めた。
頭の中を、ゆっくりと整理しながら。
まだまだ、撮り足らないものが山ほどあるが、スタートラインには少なからず立てた気がした。
問題が問題だけに、現場でシャッターを押す時の感覚は、常に複雑。
写真でいったい何ができるのか、自問自答する日々。
ただわかっていることは、本能は福島に向かっていること。
もっともっと深めなければ、己の思考を。
そして、写真を今生きる全てを懸け、魂を込めなければ、人の心など到底打つことなどできない。
なぜ、写真を始めたのか、素直に原点に立ち返る作業。
本質を衝いた、同時代を生きる人間の仕合せの鐘とは何なのか。
ここ近年の気候変動、自然が猛威を振るい続ける意味は何なのだろう、人間のエゴの見返りではないのか。
本来のエコは、経済優先の世の中で、無駄使いしない(本物を選び、愛着を持ちそのものをより長く愛用する)、必要最低限以外消費しないこと、より多くのものを人が所持しないこと、自然を配慮した極めてシンプルなライフスタイルだと思う。
これからの先の自然エネルギーの在り方、どう組み込んでゆくべきなのか。
このガイヤに、いかされ、いきるものとして。
毎日が、終わらない修行の旅なのかもしれない…
福島の問題は、同時代を生きるひとりのにんげんとして、将来を担う子供たちの生命にかかわっている。
やめるわけにはいかない、日本人のかけらとして。
神社の息子として、やらなければならない使命がある。
その地を守ろうとする、人々の想いがあってこそ、その土地が存在する。
福島第一原発1K県内で、神社が草にうもれ手つかずの場所となったことを憂い悲しむ。
今年度を祈願する
結果を残せるかは、自分自身との闘い
今日という日が繰り返されないように、明日もまた繰り返されない
やれるのはのは、今しかない
やるのは、自分のマインドでしかいない
命を削り落とすことから始まる、潔さ
今年はliveしたいな
memo”暖かさと素顔”