7年ぶりのバングラディッシュ。
ラマダン(断食)の月ということもあって、
猥雑とした町並みの中にもイスラムの祈りの鐘が街中に響いていた。
雨期の明けまじかのバングラは、湿度がとても高く
ジメジメとした日が続く。
そんな中、今回の取材目的地のひとつシレット地区へと向かった。
ここは、インド国境に近い町で、以前から採石場の町として栄え、資源の少ないこの国の建築材料として
全国各地に運ばれている。
推定で、2500〜3000人もの人々がこの町で肉体労働をしているという。
1日、3〜5ドル以下の賃金で、過酷な肉体労働に精を出す人々。川辺には、
無数のボートがそこに点在し、川底に溜まった石を潜っては汲み上げては小舟のボートに乗せ、
山積みになるまでそれを繰り返し、岸辺に持ち帰る。
老若男女、泥まみれになり、水、石、泥と格闘しながら毎日を生きている。
作業工程は、とてもシンプルなものだけど、今の現代に忘れ去られようとしている
手仕事の原点がそこに在った。そして、末端で力強く生きる彼らの姿勢から、
リアルな人々の息づかいを感じた。
ある労働者は、こう呟いた。
『お前は、日本に生まれ落ちただけでハッピーだ。
今の生活は、今後も俺たちは変わることがない。』
比べることになにも意味がないが、
感慨深い一言だった。
6月の初め、もう何年ぶりになるだろう
高野山に向かった。
そこには、以前と変わらない時間が流れていた。
大切なものを忘れかけた時に、
記憶に立返られる、大切な場所、人がそこに存在することに幸せを感じた。
無量光院の皆さん、良い時間をありがとう。
1959年のキューバ革命から今年で50周年。
フィデル・カストロ最期のとき。
バティスタ政権崩壊後、ホセ・マルティの思想を継承すべくしてできたキューバ国家は、指導者フィデル・カストロのもと、社会主義の中でも独自の理想(平等)主義という道を歩んでた。政府は、経済優先の社会にするのではなく、今日まで『貧しきを分かち合う』政策をとってきた。
未だに続けられている配給制度、医療保険が無料、学びたければ大学まで進学が補償されるなど、様々な援助が国の政策で補償されている。
国民に圧倒的に支持され続けているカストロは、市民の心の中に深く宿っている。なぜこれほどまでに、カストロが支持され続けられるのかは、カストロの行動は、全て一般市民のためにあり、無私なことだろうと感じた。街中どこをあるいても、表立った銅像もなく、チェ・ゲバラを英雄として讃えてある。カストロは、本来の政治家のあるべき姿勢を貫き闘ってきたからこそ、政権を交代した今尚、市民に愛され続けているのだろう。
ある若者は、こう話す。
『今この国がこうして平和で在り続けるのは、カストロ、チェのお陰だよ。アメリカの言いなりにならず、カストロがノーと言い続けられることが、戦争のない平和な世の中をつくっているんだ。この平和な社会がこの先も続いてほしい』
これまで、幾多のファシズム国家が崩壊してきた中で、
この国の選択してきた道筋は、この先どのような方向へ変化、シフトしてゆくのだろうか?
少しずつだが、確実に自由化の波が押し寄せてきている。
(押し寄せる波)外貨獲得と引き換えに、今あるこころの豊かさ、ゆとり、おおらかさを失わずに理想主義を貫いてほしいと願う。
本日、無事キューバより帰国しました。
取り急ぎ報告までに。
元氣それは希望への架け橋
少女の輝きは、生きる勇気を与えてくれる