東京、今夜は久しぶりの雪景色。
2月も始まった。
先月の初め、北陸・東北地方に旅に出かけた。
大積雪の中、電車は止まり、移動手段はバスのみだった。
そんな道すがら、巡り会わせた南小谷の名もなき川に
素朴で清らかな裏日本をみた。
以前から気にかかっていた冬の日本海を肌で感じたかった。
旅立つ男の背中には
悲しみがあり
怒りがあり
優しさがあり
愛がある
全てを捨てている様で
全てを取りに行く様にもみえる
皆に別れを告げる様で
皆に会いに行く様にも見える
旅だつ男の背中には
無言で魂が語りかけてくる
By Takesue Fukahori
アフガニスタンの中で幻の湖とされているバンダミール。
灼熱の太陽が照り続ける中、音のない、無音の世界がそこには広がっていた。
伊予の国で癒された私はお遍路における最後の道場へと足を進めた。
時間は変化の様子。時間を遡ろうとして見えないことは多々あったが、
変化の様子を遡ろうとすれば、そこには路の上の様々な出来事が駆け巡る。
様々な想いが胸の奥を熱くさせる。
あと一国で遍路という移動も終わる頃、自分がこれまで心の中で
頑なに持ち続けていた不必要な荷物が消えていることにも気付いた。
自分と他人、自分の世界と他人の世界、それらを測り続けた
古い心の物差が消えていた。
すべては縁をもって関わり、一つの世界に存在している。
ある晩、俗にホームレスと呼ばれる男と共に夜を過ごした。
日が暮れて、野宿する場所として灯りの洩れる小さな駅のホームに近づくと、
ベンチにボロを纏ったその男が座っていたのだ。
簡単な挨拶を交わし、私はザックを降ろした。
その男は乳母車を押しながらお遍路をしていることを打ち明けた。
いわゆる職業遍路である。
職業遍路は遍路して歩くと云うよりは、同じ地域を何度も行き来する中、
人からの接待、施し、托鉢をあてにして一生涯、四国を歩き続けるという人々で、
四国には常時150人〜200人ほどいるという話をそれまでの遍路道中で
聞いたことがあった。春先には接待を目当てにたくさんのホームレスが大阪から
四国に流れ込んでくるという話もあった。
すべては縁をもって関わり、一つの世界に存在していた。
私は遍路を介して四国にて出逢ったその男とその日の夕食を共にした。
ご飯、みそ汁、漬け物等の簡単な食事を振舞ったものの、
男は久しぶりに米にありつけた、と喜んでくれた。
私は男の瞳にも海のような深さを感じた。
1月22日、結願の日。
長い道程を歩き続け、辿り着いた先で私は深く頭を下げ祈った。
ぬくもりを頂いたすべての人々に対して、
長い年月をかけて踏み固められた遍路道に対して、
深く深く祈りを捧げた。
祈るとはお願いすることではなく、
心の中で共に在ることの実感を込めて。
感謝する気持ちがあれば
優しく謙虚でいられる
そしてあゆみ続けられる
同行二人
お遍路道をころがり続ける中で
いつも気持ちはふたつのようで
ひとつなのだろう
伊予の国。
遍路道中において私が最も癒された場所。
そこに在る自然、そこに住む人々から頂いた暖かいぬくもりは
慣れに応じて忘れかけてしまいそうになるものを気づかせてくれるような
大きな真心だった。
私は伊予の国に来て、何度も真心のぎっしり詰まったお接待を受けた。
施し頂いたお接待は常に無条件であり、無償だった。
幸せを感じ、幸せについて想い馳せると同時に
アジアを旅していた頃を思い返し、大きな幸せ、小さな幸せ、
慣れの中で幸せのサイズを測っていた頃が自分にあったことを想い出して
恥ずかしくなった。
伊予の国でこれまでの人生にあった、たくさんの忘れ物をさり気なく
届けてもらった感じがした。
そしてそのことがやはり私にとっての幸せの一つだった。
遍路道中において札所の数は少ないものの、距離が最も長いとされる高知。
風景は見渡す限り海。蒼い海が続いていた。
その海の蒼さは深く、何もかもを受け入れてさえ怯むことのない、
旅人の瞳の深さを連想させた。海の如く蒼き深き瞳を持った旅人。
そんな旅人に私はアジアを移動している時に出逢った。
彼は私よりも年下だったが、私よりも大人だった。
己について探求し、己と世界との関わりの中で想い立ったことすべてを
実践することのできる旅人だった。
彼との出逢いが様々な縁をもたらしたように想える。
彼を見ている中に、私自身の足りないものを見出すことができたし、
彼の言葉の中に、私が言葉で語れない私自身の魂の震えを見出すこともできた。
私が四国八十八箇所をお遍路しようと決意した背景に彼との縁がもたらした
心の動きがある。
単純に自分自身と彼を比べてしまうことには何の意味もない。
ただ、自分に足りないもの、自分に必要なものを探し歩く中で
自身と向き合い、多くのことを実践して行くことには大きな意味があるはずだ。
私はその蒼く深い海を見つめながら、初心を思い返した。
海を見渡せる遍路道中では、真っ黒に日に焼けした漁師達との出逢いがあり、
その笑顔に助けられ、癒された。
漁師達の話はロマンに満ちていて、そして何よりも男気溢れていた。
水揚げされた魚の匂いが厳しい漁に向き合う男達の匂いに感じられた時、
私の中に熱いものが込み上げてきた。
美しかった。
どんなにくたびれ、汚れた格好をしていても、毎日必死に生きる漁師達が
とても美しかったのだ。
お遍路はお寺を打ち参りする中に、その道中に、様々な人々との出逢いがあり、
その場に香る様々な匂いを通じて、自分らしく毎日を生きている人々が
通りすがりの者に何かを学ばせてくれる、教えの庭であることに気付いた。
その教えの庭において学ぶには、すべてを受け入れようと気張るのではなく、
自分のすべてを預けてしまうことだと実感した。
私は生きているのではなく、生かされているのだから。
アジアの国々を移動していた頃を想い出した。
大した資金もなくまるで彷徨うように移動を繰り返す中で、
頭で解っていたことが自分にとって役立ったこともあれば、
逆にそのことで混乱することも多く、
知識や情報だけを鵜呑みにするよりも、単純にその場でその状況に学び、
気付かされた何かを信じることの方が重要だった日々が甦る。
ほとんどが盗まれてもいいような荷物の中、
カメラだけは盗まれたくなかった。
私がカメラマンとして過ごした初めての時間がアジアの移動にあった。
ファインダーの中にあった様々な一瞬。
それら一瞬を心と肉体に刻むように一歩ずつ前に進んだ移動だった。
目の前に現れた世界は予想もつかない風景だったり、
そこには知らなかった現実、風習、文化、宗教が渦巻いていた。
その風景の中で色鮮やかなものばかりを捉えようとしていた自分がいた。
実際、それしか捉えることはできなかった。
でも最終的に向かい合わなければならなかったのは、
真新しい世界の風景ではなく、
それを見ている自分自身でなければならなかったのだ。
だからひたすらに自分自身と向かい合うために
私は新たな移動を決意した。
期待と不安、揺れ動く緊張に胸が高鳴る。
なけなしの金で四国に到着した私はまず四国八十八箇所霊場の
一番札所がある「霊山寺」へと向かった。
一番札所の売店で歩き遍路用の地図と納め札のみを購入して
店を出ようとしたところ、店主に呼び止められた。
店主は返品になった白衣の上着を持って行きなさい、と言う。
嬉しかった。と同時に気分が引き締まった。
頂いた白衣を身に纏い、いよいよ一番札所より打ち参りとなった。
知識や情報に頼らず、在りのままで体感し、吸収するうえで
自分自身と向かい合うことが目的だったこともあり、
私は大した情報を事前に持たず地図だけを頼りに一歩一歩進み巡拝した。
流れる風景はゆったりとしていた。
時間はあるようで、ないように感じられた。
踏み出す一歩が一秒を感じさせる以外、時計の短針が示す
束ねられた時間を感じることはない。
一秒が、一歩が大切なのだ、そう想った。
そう想うことで影のように付きまとう足の痛みとも向き合っていられる。
歩き始めてから10日間は足裏にできたマメの痛みがひどかった。
遍路道はアスファルトの車道であったり、土や砂利の山道であったり、
平坦であったり、高低差もあり足裏や膝には負担がかかった。
特に山越えした後の下り坂は膝への負担が大きかった。
十一番札所から十二番札所の「焼山寺」にかけては山越えが二つあり、
そのアップダウンは遍路道中でも厄介な難所とされているが、
御多分に洩れず私の膝も悲鳴をあげた。その後一週間に渡り痛みが続き、
足の裏全体に体重をかけることが出来ず、
足の側面にのみ体重をのせるようにしながら必死になって歩き続けた。
歩き始めて10日間が過ぎてようやく痛みも和らいできた頃、
二十三番札所「薬王寺」付近の道中でお接待して頂いた人から
「城満寺」という禅寺についての情報をもらった。
その情報の中でいくつか気になったことがあった。
気になったと云うより、胸が高鳴ったと云った方がいいかもしれない。
「城満寺」の建築、維持のすべてが托鉢により実践されているということ、
「城満寺」の本堂が、法隆寺宮大工の西岡常一氏のお弟子さんにあたる
小川氏によって建てられたということを知ったからだ。
私は以前より小川氏の著書を読んだことがあり、また講演会に出向いたことも
あったのですぐに「城満寺」に立ち寄り、そのまま5日間を過ごした。
城満寺の本堂はお寺には珍しく、
飾り物や塗り物がまったくと云っていいほどなく、
その外観は実にシンプルで空間的なバランスがとれた見事な建物だった。
閑静な本堂中央には木彫りの仏像が三体たたずんでいる。
斜めに洩れる柔らかな光が仏像をかすめ、まるで陰陽を描いているように
感じられた。
禅寺である城満寺では座禅を組むことができる。
本堂での座禅は朝4時から6時まで2時間、静寂に包まれ座り続けることになる。
私は小川氏の描いた空間の中に身を置き、歩き続けた道程、
その道程にあった変化の様子について顧みるために座り続けた。
歩き始めてから今に至るまでの時間を、変化の様子として捉えようとすれば、
それまでの出来事、不安、希望、痛み、喜びが走馬灯のように頭の中を
駆け巡るのが見えた。無意識の中にある何かが隠れた感情を刺激し、
その何かが次第に意識へと変化して行く。
「座るとは座ることのばからしさを知るために座り続けること」
「息とは自らの心を吐くこと」
城満寺で修行していらっしゃる僧侶から頂いたそれらの言葉が、
自身が座り続ける中で妙な現実味を帯びて迫ってきた。
目的に向け歩き続けること、
真直ぐ一直線に歩いて行くことではなく、
在りのまま、感じるまま
段階を経る中、巡り歩くこと
当時の私に必要だったことは
その想いを実践することだった。
さらに自分の中に凝り固まったもの
自然に身を投じ、野宿巡拝に取り組んだ。
自然体となることが、自身に本当に必要となるものを
判断し結びつけてくれることを信じて。
希望と不安に塗れながら
12月の寒空の下、私は「順打ち」を開始した。
遍路が札所を巡拝することを「打つ」と云い、
一番札所から八十八番札所へと番号の順に巡拝することを
「順打ち」と云う。